LOGINあの頃はまだ若くて、夢も希望もあったんだ。 如月は当時を思い出すと頭を抱えた。 いや、俺に拒否権なんてなかった。もし嫌がったとしても東雲さんの事だ。どんな手を使ってでも俺を引き込んだだろう。 特殊捜査課に配属されてからの4年間は、如月にとってまるで地獄の日々だった。 特殊捜査課――と言っても、犯人を逮捕するわけではない。なぜなら犯人は既に死んでいるのだから、死んだ人間に日本の法律は適用されない。 それを利用して殺人や犯罪が行われることがある。それが呪いだ。そして、呪い以外にも心霊現象を利用した例も少なからずあるのだと、東雲が言った通り如月は毎日のように全国各地で起きる超常現象を調べるために駆け回っていた。 犯罪でなくとも、超常現象や心霊現象が公になると、法の抜け穴が生まれ文字通り無法地帯になる。 「超常現象に対応するよう法を改正すればいいと思うだろうが、現代の科学では超常現象や心霊現象を解明できない。となると、この事実が超常現象などによるものだという証拠を提出することができない。証拠が提出できないと立件もできない」 東雲はわざとらしく肩をすくめて見せたのを如月は思い出していた。 だから隠匿する必要があるのだ。その為に特殊捜査課は存在するのだと、着任してすぐに説明された。 そして、霊感が一切なく、心霊現象からの干渉を受けない如月は、調査員として最適の人材だった。 「ほんっと、びっくりするくらい霊力がないんだな、あんた」 着任してすぐに紹介されたのは、敬語も話さない小生意気だが切れ長の目が特徴的なやたらと美形の少年だった。 18歳のその少年は、2年前に大口真神の依り代に選ばれ、付喪神狩りを行っているのだと東雲は説明した。 「君が行う調査は、その事件が心霊現象によって起きたものかの確認と、その背後関係だ。そしてそれが付喪神によるものだった場合は、この彼――大和御門(やまとみかど)君に依頼を出すことになる」 御門と紹介された少年は、警察官ではなく民間の祓い屋なのだと東雲は言った。 こんな子供が――? そんな疑問はすぐに払拭された。この少年は大口真神の能力を使って悪霊や付喪神を喰う事ができるのだ。 その様子を霊感のない如月は見る事はできないが、代わりに如月の左手には付喪神
如月と東雲は、如月が交番勤務を終えて所轄署に勤務になった時からの付き合いだった。 上司だった東雲は、涼しい顔で職務を淡々とこなし、如月の面倒もよく見てくれていた。 かなり若く見えたが35歳と聞いて驚き、更に二人目が生まれたところだと聞いて再度驚いたのをよく覚えている。 全てにおいてスマートなこの上司は、如月の事を気に入っていたのか、よく飲みに連れて行っては相談に乗ってくれたり、的確なアドバイスを与えてくれた。 存在感の無さに定評があった如月に、調査を主体で行うよう計らってくれたのは東雲だった。 その東雲が、ある日警察を辞めるのだと言う噂を耳にした。 如月の同僚が誤認逮捕をした相手が、大物政治家の子息だった為、責任をとって辞職するのだと言う。 ――昨日も一緒に飲んでたのに、そんな話一度も言わなかったじゃないか。 如月は裏切られて様な気持ちになり、その日から東雲と業務以外の会話を避けるようになっていた。 警察という組織にいる以上、ずっと一緒に机を並べて仕事ができるとは思っていなかった。だが、同じ組織にいれば、再び仕事を共にする機会もある。辞めてしまってはそれも叶わない。何より、兄とも慕っていた東雲がそんな下らない理由で警察を去らなければならない事が許せなかった。「如月君、ちょっといいかな」 噂を耳にしてから5日目の事だった。調査から戻ると、如月は東雲に呼ばれて署の奥にある小さな会議室にいた。 夕陽が差し込み、部屋は赤く照らされている。「私が警察を辞めると言う噂を聞いたと思うが」 会議卓の椅子に腰かけて如月にも座るよう勧めると、おもむろに口を開いた。 如月は言葉を発する事ができず、小さく頷くしかできない。認めると東雲が遠くに行くような、そんな子供のような想いに駆られていたからだ。「君は、幽霊だとかお化けだとかを信じるかな」 突拍子もない東雲の言葉に、如月は我が耳を疑った。――幽霊?お化け?科学捜査が基本の警察が何を言っているんだ? もしかしたら、自分がショックを受けないよう冗談から入るつもりなんだろうかとさえ思っていた。
今日は恋人の誕生日だった。 如月正明は、出張で会えないと彼女に伝えていたが、実はこっそりと彼女の家で待ち伏せをしてサプライズをしようと決めていた。 付き合って半年だが、年齢的にも結婚を視野に入れた付き合いに発展させたいと思い始めるほどに、如月は彼女との交際を真剣に考えていた。 ロマンチックな演出が大好きな彼女の為に、最高のサプライズでプロポーズしようと、如月は心に決めていた。 『出張でお祝いはできないけど、君が帰宅する19時頃にプレゼントを届けるようにしたので受け取ってほしい』 事前にそう連絡をしていたから、真面目な彼女はきっと仕事が終わると真っすぐに帰宅するはずだ。 彼女の帰宅時間は大体いつも18時半から19時である事は把握しているので、如月は18時からずっと彼女の部屋の近くの階段に潜んでいた。 彼女の住むマンションは、ワンフロアに4つしか部屋がない。2戸ずつがエレベーターを挟んで向かい合わせに作られていて、そのエレベーターの隣に如月の潜む非常階段はある。 18時45分。彼女の部屋がある8階にエレベーターが止まった。 時間的にも彼女だろう。 逸る心を抑えて、如月は彼女のフロアから階段を上った踊り場に隠れてフロアの様子を見守った。 刑事という仕事上、こう言った張り込みは得意だった。 ましてや、人畜無害を体現したような平均的で特徴もない外見は、ぱっと見ただけで誰かの印象に残るような存在感はほぼない。 その存在感の無さが今はこうして役に立つのだから、人生は面白い。 エレベーターが開くと、会話が聞こえてきた。――会話? 「――本当にいいわけ?彼氏からプレゼント届くんじゃないの?」 若い男の声だ。 「だって受け取らなきゃバレるじゃない。――ほんと、誕生日も仕事とかありえなくない?」 彼女の声が続く。 「だからって彼氏の留守中に男家に連れ込むなんて、真綾も悪い女だよな」 「だって、公務員だから結婚相手にはいいかもしんないけど、ぶっちゃけつまんないんだもん」 「体は俺の方がいいんだろ」
「名前っつーのはさ、存在を縛るわけよ」 亨が向いたりんごを食べながら、御門は説明をした。「名をつけることで存在を認める。言い返すと名前ってのは存在そのものとも言える。だから名を知ると呪う事ができる。――昔の人間が名を明かさなかったのはそういうこった」 御門が語った篠川夫妻から聞き出した話は、亨の想像を超えていた。 暁が産まれて1年が過ぎた頃、夫婦はある占い師に出会った。 占い師は娘の身を案じる夫婦に、もう1人子供を作り、その子供に戸籍の名とは違う名前をつけるよう言った。 そうする事で産まれた子の生命力が姉の弱い魂を補うだろうと。そして、その名は家族以外が知る事の無いよう、誰にも言ってはいけないとも。 そうして、それから2年後に夫婦は再び子を授かり、まゆみと名付け、占い師の言った事を思い出し真名を宵と名付けた。「あいつらがつけたのは暁と反対の意味を持つ宵だ。占い師に言われたんだと。近い名をつける事で魂の結び付きはより強固になるってな。とんでもねえ話だわ。生命力を分けるどころか、妹に姉の身代りをさせる呪いだったわけよ」 だが、篠川夫妻は占い師の言葉を覚え違えていたのか、勘違いしたのか、反対の名をつけた。 それにより、呪いの形が歪み、生きたいという執念が強かった暁の魂がまゆみの魂を貪り始めたのだ。 「あいつの生きる執念は凄まじかったからな。その執念と、親が知らずにかけた呪いが混じりあったんだろうな。まゆみは暁に食われたんだ」「そんな――それじゃあまゆみさんは」 亨の言葉に御門は軽く肩をすくめた。「子供の頃から喰われてた。まゆみが好きな事をやらせてもらえたってのは暁がやりたかった事だろうよ。そうやって少しずつ浸食されて暁が死んだっつー5年前には完全に喰われてたはずだ。あれはまゆみ――いや、宵という名を奪った暁だ」 亨は目の前が暗くなるような気分だった。 姉との思い出や両親に蔑ろにされていた悲しい過去を話していたのは暁だったというのか。「気にすんな。奴らは嘘をつくもんさ。特に奴の狙いはとーるちゃんだったからな。取り入るためにはなんでもするさ」 御門の言葉に亨は下を向き、「なんで僕なんですか」と吐き出すような声で尋ねた。「とーるちゃんの霊力は特殊だからねぇ
「高天原に神留坐す神漏岐神漏美の命以ちて皇親神伊邪那岐の大神筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神等諸々禍事罪穢れを祓い給ひ清め給ふと申す事の由を天つ神地つ神八百万神達共に聞食畏み畏みも白す」 東雲がまゆみを引き付ける間に、御門は祓詞を読み上げた。 御門の体から真神が姿を現す。 真神はその目にまゆみを捉えると、東雲を飛び越えてまゆみの左肩に喰らいついた。「大口真神――」 まゆみはニヤリと笑うと、微動だにせずその牙を受け止めた。「亨さんの霊力はお前を抑えると聞いたけど――事実のようね」『そう思うか――』 真神は不敵に笑うと、いつの間に背後に回っていたのか、まなみの体は御門に抱きかかえられた。「返してもらうぜ――とーるちゃんの霊力」 そう言うと、御門は抱きかかえたまゆみの眉間を人差し指で押さえつけた。「天の瓊矛以て国を鎮む――顕現せしませ――宵!」「お前!なんでその名前を」 術はまゆみの体を縛りあげ、霊力が御門の指を伝って流れ出していく。 御門を振り払おうと体を動かすが、御門の力は強く、体から御門の指に霊力が流れ出すを止められない。「まさか真名を持ってたとはな」 御門はそう言うと、まゆみの肩に嚙みついた。 まゆみの白い皮膚が裂け血が滲む。血液と共に霊力が更に御門の体に流れ込んでいく。亨の霊力を感じ、御門は立てた歯をよりまゆみの肩に食い込ませた。「離せ!私のものよ!――」 急速に失われる霊力を感じ、まゆみは手に持っていたナイフを御門の足に突き立てた。「御門君!」 東雲が叫ぶと同時に、真神がまゆみの肩に再び牙を立てた。今度はその体を貫くと、まゆみの体から黒い靄が立ち、人の形
篠川家に到着すると、まゆみが出迎えた。 東雲が亨の代わりの助手だと挨拶をすると、一瞬残念そうな表情を見せたが、すぐに元に戻り二人を家の中に迎え入れた。 御門は両手をポケットに入れたまま、家の中に上がると「まゆみちゃん――」と、まゆみの背中に声をかけた。「何?」 振り返ったまゆみに、御門はいたずらっぽい笑みを浮かべると、ポケットから鍵を取り出してまゆみに手渡した。「とーるちゃんさ、今朝家ですっころんで足捻っちゃってさ。なーんか体調悪いみたい。悪いけど様子見てきてくれない?」「え――でも……」 御門から鍵を受け取ると、まゆみは頬を紅潮させながら、戸惑っているように見えた。「今日は俺も遅くなりそうだし、とーるちゃんの知り合いってまゆみちゃんくらいなんだよね。住所は後で送っとくから、平気そうならすぐ帰ってくれていいからさ」 御門の言葉に、「様子を見るだけなら――」と、心なしか嬉しそうに答えると、二人をリビングに案内してさっさと自室に戻り、人形を持った両親がリビングに入ってくるのとほぼ同時に、まゆみは家を出て行った。「何度もご足労いただき、ありがとうございます。――あの、娘の……暁が本当に我々を呪っているのでしょうか」 頭を下げながら真理子が御門に尋ねた。「呪いなんかじゃねーよ。言ったろ、生きる事への執念がすげーんだよ。あんたらの娘は」 東雲は隣で柔和な表情を崩さず、茶を飲んでいる。「――どういうことですか」 篠川が気色ばむと、御門は二本立てた指を篠川に向けた。「茶番はいいんだよ――思った通り、本体はあの女だな」 そう言って御門は早口で「急急如律令」と唱えると、篠川は御門の霊力に縛られ動けなくなった。「この――」 さっきまで涙ぐんでいた真理子は、手元にあった雑誌を御門に投げると、60歳を目の前にした中年とは思えない素早い動きで御門に襲い掛かった。「天霊霊地霊霊――我が元に来越し給え」 東雲が隠し持っていた人形の呪符をかざすと、呪符は錫杖を手にした御門ほどの大きさの鬼神の姿に変わった。 鬼神は襲い来る真理子の攻撃を錫杖でいなすと、錫杖を振りかざし真理子の体を打ち付ける。 式神が攻撃